甘々:奇妙なライバル

翌日。

シルバーのアパートで一晩を過ごしたナックルズは、シルバーと共に大学へ向かった。

「ナックルズ、身体は大丈夫か?辛かったら言ってくれよ、俺のアパートまで送り帰すから」

シルバーはナックルズにつきっきりで世話をした。

同じ講義は隣り合って受講し、ナックルズだけの必須抗議も隣りで受講。

休憩時間はドリンクを飲ませながら、ナックルズに優しく話しかける。傷が痛まないかを確認する。

昼休憩後の自主トレーニングは断固反対し、グラウンドにも部室にも行かせない。

「シ、シルバー。俺はもう、大丈夫⋯⋯」

「俺、気付いたんだ。アンタの大丈夫は大丈夫じゃない。俺が大丈夫って思うまでは、アンタは部活に行っちゃ駄目だ。さ、あっちで一休みしてから、午後の講義に出よう」

ナックルズは、なんとかシルバーを説得させようとしたが、シルバーは断固として譲らなかった。元々ナックルズは、説得や交渉は苦手だった。

「ナックルズ、歩くの辛くないか?少しでも違和感あったら言ってくれよ」

シルバーが笑顔でナックルズを労わる。ナックルズは、抵抗するのを諦め、当分はシルバーに従う事にした。

シルバーはナックルズの怪我に責任を感じていた。

ナックルズが大丈夫というなら、大丈夫なのだと信じていた。

しかし、シャドウは違った。すぐに異変に気付き、ナックルズが抱えていた問題をあっという間に解決させてしまった。

“君はナックルズと親しいのか?彼の身体中の痣に違和感を少しでも覚えなかったのか”

シルバーは、シャドウの言葉を思い出した。

胸がズキズキと痛み、視界が狭くなる。息が苦しい。

(俺が気付かなかったせいで、ナックルズは誰にも助けてもらえなくて、ずっと苦しんでたんだ)

シルバーは拳を強く握りしめて、心の中で誓った。

(ナックルズは俺が守る。ナックルズが健康な大学生活を送れるようになるまで、俺がしっかり見守ってあげるんだ)

次の講義に向けて二人が廊下を歩いている時、正面から一人の男が走って来て、ナックルズを呼んだ。ナックルズと同じ部活のメンバーだった。

「ナックルズ、今日の部活の事なんだけど⋯⋯」

シルバーは、すかさずナックルズの前に立ちはだかり、男をにらみつけた。

「ナックルズに話しかける前に、俺を通してくれ。一体何の用だ?」

男はうろたえて、奥に立つナックルズに助けを求めて視線を投げた。

ナックルズは気まずそうに言った。

「シルバー⋯⋯そいつは俺と同じ一年生で⋯⋯その、先輩じゃないから⋯⋯」

大丈夫、と言おうとして、ナックルズは言葉に詰まった。

シルバーは慌てて横に逸れ、男に向かって、ごめん、と言った。

男はほっとした顔で、端的に用件を告げた。

ナックルズの所属する部活チームの監督とコーチの解任が今日になって突然発表された事。

新任の監督が来るまで当面は自主トレになってしまう事。

ナックルズは目を見張った。

シルバーは、黙ってナックルズの肩に手を置いた。

ナックルズは、下を向いてうつむき、それから小さな声で言った。

「⋯⋯俺、やっぱり今から、部室に⋯⋯」

「駄目だ。講義だってもうすぐ始まるし。⋯⋯行こうぜ、ナックルズ」

二人が講義室の入り口近くの廊下まで向かうと、向かい側から来たシャドウと鉢合わせた。

シャドウが目を見張って、ナックルズを呼びとめようとした。

途端に、ナックルズが足を止めて、怯えたような顔をした。

シルバーは、ナックルズの表情に気付いて、とっさにシャドウの前に立ちふさがった。

「ナ、ナックルズに⋯⋯近づくな!」

シルバーは、自分で自分の行動に驚いたが、同時に部室で見た光景を思い出した。

マットの上に重なって倒れた部活の先輩メンバー達。

中央にボロボロの状態で倒れていたナックルズ。

(ナックルズは、確か、シャドウがやってきてあっという間に先輩たちをやっつけてしまったって。⋯⋯でも、おかしいぞ)

シルバーはナックルズを少し見た後、シャドウに視線を戻した。

(どうして、あの時シャドウは、ボロボロのナックルズを放って、部室から姿を消したんだ⋯⋯?)

シルバーは、シャドウに向かって言った。

「ア⋯⋯アンタ、本当はナックルズの事なんてどうでもいいんじゃないのか?ナックルズを困らせるような事をするなら、俺が黙ってないぞ」

シャドウは目を見張って、一歩下がり、少し考えるような仕草をした後、静かに言った。

「⋯⋯僕は、必要な事を必要な分だけやる。それだけだ。その後の事は⋯⋯もう、いい」

シャドウは、ナックルズの方を見ず、踵を返し、静かに去っていった。

ナックルズは思わずシャドウを追いかけようとした。

シルバーが肩を掴んで引き止めた。

「⋯⋯ナックルズ、入ろう。講義が始まるぜ」

ナックルズはうつむいて、諦め、シルバーの誘導に従い、講義室へ入っていった。


夕方。

シルバーはナックルズをシルバーの自宅アパートまで送った後、バイトへ行った。

「俺が戻ってくるまで、部屋で休んでてくれ。自主トレなんてやっちゃ駄目だぞ」

ナックルズは黙ってシルバーを見送った。

窓辺に座り込んで、アパートの側の道路を走る車の流れをぼんやり見ていたが、信号が赤から青に変わるのを見て、ゆっくりと立ち上がった。

「悪い、シルバー。俺は、やっぱり⋯⋯⋯」

一人つぶやくと、玄関のドアを開け、走り出した。

夕暮れになって、ナックルズは、大学構内に走って戻ってきた。

左右を見渡し、黒い毛並みのハリネズミを探す。見当たらない。

構内の小道を進み、寮のエントランスに入り、受付で問い合わせ、シャドウの不在を確認した。

(クソ⋯⋯構内のどっかにいるのかな)

グラウンド近くの、水道の脇のベンチや、カフェのテラス、思い当たる場所を探して回った。シャドウは見つからない。

意を決して、部室にも寄ってみた。

半壊したドアを開けると、顔や体にに包帯を巻いた男達が、怯えたような顔で一斉にナックルズを見て、目をそらした。

シャドウはいない。ナックルズは、黙って会釈だけして、部室棟を離れた。

ふと、小道の上のグラウンドから、ホイッスルの音が聞こえた。

ボールを打つ音。蹴る音。掛け声。走る音。

いろんな部活の選手たちが、明日を目指して、練習に追われている。

ナックルズはいいようのない苦しみに襲われた。

今日になって突然、監督とコーチが解任された。自分の身に今まで起きた事が、とうとう表沙汰になってしまったのかもしれない。

(俺のせいで、他のメンバー達は、前に進めなくなった)

シルバーとの約束を思い出した。

部室へは行くな。自主トレはまだするな。

(そりゃ、俺のせいでこんなになっちまったわけだし⋯⋯)

そうなったら、自分はあのグラウンドに立つ資格はない。

グラウンドに立てないなら、この学校にいる資格もない。

消えたい。消えるしかない。

夕日の差し込む明るい小道に立ってはいられなくなって、ナックルズは、暗く茂った雑木林に身体を突っ込んだ。

──そこに、黒い毛並みのハリネズミが、身体を丸くして、うずくまっていた。

「シャドウ」

思わず名を呼んだ。

黒いハリネズミが、身体を飛び上がらせ、こちらを振り向いた。

瞬間、跳ねるように飛び出し、逃げていった。

「待てよ!」

ナックルズは必死で追いかけた。

シャドウは足を緩めない。

ナックルズは諦めずに追いかけ続けた。

構内の小道を抜け、大通りを抜け、門をくぐり、大学の構外の通りを横に抜けて、シャドウは逃げ続けた。

駅前に続く、小さな通りに出た。シャドウは逃げ続ける。

夕日が沈み、二人を包む闇が濃くなっていく。

ナックルズは叫んだ。

「待てって言ってんだよ!」

道の脇にある大きな可燃物用のゴミ箱を持ち上げ、シャドウに向かって投げつけた。

シャドウは避けたが、間髪いれずに投げた、不燃物用のゴミ箱が直撃して、ゴミ箱ごと吹っ飛んだ。

ナックルズはシャドウにタックルして、側の芝生の上に二人して転がり込んだ。

「グウウ」

シャドウが動物のようなうめき声をあげた。逃げようとしたが、ナックルズが上から抑え込んだ。

「逃げる前になんとか言えよ!わかんねぇよ!」

日が沈み、二つの影が芝生の上に座り込んでいた。

お互いの荒い呼吸だけが周囲に響いた。

ナックルズが、ようやく呼吸を整えて言った。

「⋯⋯お前のお陰で、色々と気まずくて仕方がねぇぜ」

シャドウがナックルズを見た。ナックルズは続ける。

「監督とコーチが退任するってよ。代わりが見つかるかはまだわからねぇ。⋯⋯お前のせいってのは違うか。俺のせいで、全部めちゃくちゃに⋯⋯」

「君が抱え込む事じゃない。新しい監督はすぐに来る。君も、他の選手も、必ず安心して活動を再開できる。僕が⋯⋯」

そこまで言って、シャドウは黙り込んだ。そして、声を落として言った。

「⋯⋯君に負担をかけてすまない。あの時は、考えなしに暴れ過ぎてしまった」

ナックルズは、シャドウに向き直った。暗闇に溶けて、お互いの顔は見えない。シャドウが続けた。

「僕のせいで、連中からまた何かされているんじゃ⋯⋯」

「気まずいだけでなんもねぇよ。不気味なくらいみんな大人しくなっちまった」

ナックルズは、部室での先輩達の姿を思い出した。

シャドウのお陰か、あるいは監督やコーチが解任されたという不穏な状況のせいか、彼らはナックルズに対する敵意を完全に失っているようだった。

ナックルズは、独り言でもつぶやくように、淡々と説明を続けた。

「俺が入ったばっかりの一年のくせに、いきなり技術と体力が一番上になっちまったから、先輩全員から嫌われちまって。でも、俺は推薦入学だから。辞めるわけにもいかねぇし、このくらい、我慢しねぇと。何がなんでも、スポーツで結果を出さなきゃいけないんだ」

少し沈黙があって、ナックルズの呼吸が少し乱れた。

それから、小さな声で、ナックルズが続けた。

「か、監督からも、その⋯⋯」

ナックルズの声に震えが交じる。

「⋯⋯お、俺が、もっと、⋯⋯す、推薦入学だから。⋯⋯いう事を聞けって⋯⋯」

そのまま、言葉が消え入り、黙り込んだ。ナックルズは震える自分の身体を抱きしめ、シャドウから顔をそらした。

「辛いなら、無理に言葉にする必要はない」

シャドウは低い声でゆっくりと答えた。

シャドウは既に、下宿先で、ナックルズが監督からどう扱われていたのかを予想していた。

寮には十分空きがある。孤児院出身で身寄りのないナックルズを、権力者が無理やり自宅に下宿させる。

その意図は、説明などしなくても明らかだった。

暗闇の中で、シャドウは冷静にナックルズをみつめていた。

(ナックルズが、怯えている)

権力。上下関係。推薦入学者としての立場。契約と制約。目標。責任。

純朴そうなナックルズは、あらゆるものを一人で背負って、あらゆる角度からいいように搾取されようとしている。

ふつふつと、静かな怒りが腹の底から湧いてきた。

(僕が守ると決めた。僕が守るんだから、僕のものだ)

シャドウは、燃えるような目でナックルズを見つめた。

ゆっくり立ち上がって、ナックルズの右腕をとり、ナックルズを立ち上がらせた。

ナックルズがシャドウを見た。

シャドウが一歩、ナックルズに近づいたその時、

「⋯⋯ナックルズ!部屋で休んでろって、言ったのに」

二人が声の聞こえた方を向くと、シルバーが立っていた。バイトが終わって、帰り道のようだった。

ナックルズが、うろたえて、一歩後ずさった。

シャドウはナックルズの右腕を強く掴んで、自分の側に引き戻した。

シルバーが黙ってずかずかと近づき、一気にナックルズと距離を詰め、ナックルズの左腕を掴んだ。

「⋯⋯⋯⋯」

黙ったまま、シャドウとシルバーはにらみ合った。

シャドウが、ナックルズの右腕を引っ張った。

とっさに、シルバーはナックルズの左腕を引っ張り返した。

お互いににらみ返す。ぎりぎりとナックルズの両腕が、左右に伸びていく。

ナックルズは慌ててシャドウとシルバーを交互に見た。

シャドウは燃えるような瞳でシルバーをにらみつけている。

シルバーは怒りと正義のまじったような瞳でシャドウをにらみ返している。

ナックルズは、どうしていいかわからず、悲しそうな顔で、されるがままに腕を投げ出した。

シャドウは低い声で言った。

「その手を離せ。僕が先にナックルズを捕まえたんだ」

シルバーがたまらず言い返した。

「つ、捕まえたってなんだよ!順番よりも気持ちが大事だろ!お、俺はナックルズの事を、ちゃんと⋯⋯」

「感情だけで問題を解決できるなら、この世はここまで混沌としていない」

シルバーの反論に冷淡な声でシャドウが返す。

「う⋯⋯あ⋯⋯」

ナックルズはうろたえた表情でまごつくばかりで、何もできなかった。

シルバーは、ナックルズの腕を思い切り引っ張り返しながら必死に叫んだ。

「ナックルズは迷惑がってるんだ!お前こそ、その手を離せよ!」

シャドウは、つい一瞬、目を見張った。

(僕のこれは、迷惑なのか)

シャドウはナックルズを見た。ナックルズは、今にも泣きだしそうな顔でシャドウを見つめていた。

その時、

「よーお前ら!もしかして、俺を迎えに来てくれたのか?!」

ソニックが、笑いながら三人の元へ駆け寄ってきた。

ここは駅に直結する小道。ソニックが、スケボーの世界大会を終えて、ようやく戻って来たのだった。

シャドウは思わず手を離した。

ナックルズは勢いあまって逆方向に吹っ飛び、シルバーにぶつかって倒れ込んだ。

「うわあっ」

「ぐえっ、いって⋯⋯」

シルバーが慌てて起き上がり、ナックルズを抱え起こす。

「ご、ごめんナックルズ、怪我は大丈夫か?」

「これくらい、だいじょ、⋯⋯。うう⋯⋯」

ナックルズは、大丈夫、と言おうとして、困った顔で黙り込んだ。

「じゃーん!みろよ、準優勝のトロフィー。優勝するつもりだったんだけど、難しいもんだな、ハハッ」

ソニックは笑ってトロフィーを掲げた。

シルバーが困惑した表情でソニックをみつめ、シャドウは眉をひそめてソニックをにらんだ。

ナックルズは、呆然としてソニックを見ていたが、ハッとして、すかさずソニックに向かって言った。

「ソニック。今晩、お前ん家、泊めてくれよ」

ソニックはこともなげに即答した。

「おう、いいぜ。朝まで夜更かしコースだな。映画みるかゲームするか」

ナックルズは立ち上がり、呆れて言った。

「馬鹿、さっさと寝るんだよ。お前も大会終わりで、疲れてんだろうが」

ナックルズは、二人への挨拶もそこそこに、ソニックを引っ張って、さっさと路地の向こうへ消えていった。

後には、ぽかんとした表情のシルバーと、がっかりした表情のシャドウが取り残されていた。

シャドウは、ソニックの元へと行ってしまったナックルズの背中が見えなくなるまで見つめていたが、やがて静かにため息をついた。

シルバーも、気の抜けた顔で、大げさにため息をつき、言った。

「アンタも、ナックルズの事がちゃんと大事なんだな」

シャドウは不審な顔をしてシルバーをにらみつけた。シルバーは気にせず続けた。

「さっき、ナックルズが辛そうだから、つい手を離しちゃったんだろ。俺もソニックみたいな頼れる男になりたいんだけど、こんなんじゃまだまだ全然駄目だよな」

シルバーは笑いながら立ち上がり、腰元についた草を払い落とした。

「まいっか。大学だって始まったばかりだし、まだまだこれからだよな!」

明るい声で一人勝手に納得した後、シルバーは振り返って言った。

「じゃあな、シャドウ、また明日!」

笑顔で手を振り、走って去っていった。

シャドウはシルバーの思考回路が微塵も理解できず、困惑したが、つい、手を振り返してしまった。

暗い夜の通りを、シャドウは、一人でゆっくりと歩き、寮へ向かって帰っていく。

“ナックルズの事がちゃんと大事”。

シルバーの放った言葉をなんども頭の中で響かせる。

(そうか。僕は今、そういう気持ちという事なのか)

シャドウは、寮へ戻ったら、スポーツ連盟の関係者にもう一度連絡して、ナックルズや他の選手たちの立場が不利にならないよう、再度便宜を図っておこうと考えながら、夜の闇の中へ消えていった。


ソニックの暮らしているマンションに着くと、ナックルズは勝手にベッドに潜り込み、さっさと眠りにつこうとした。

シャワーを浴びて戻って来たソニックは、不満げに言った。

「こないだの格闘ゲーム、俺が負けたまんまなんだけど。一戦くらいやったっていいだろ」

「うるせえなぁ、何度やったってお前の負けだよ」

ソニックは、口をへの字に曲げてさらなる不満を表明したが、早々に諦めて同じベッドに潜り込み、部屋の電気を消した。

暗闇の中、しばらく沈黙が流れたが、ナックルズが小さく動いて、つぶやいた。

「ソニック、」

ソニックが布団の中から顔をのぞかせた。

ややあって、ナックルズは、小さな声で続きを言った。

「寝れねぇかも」

ソニックは、ナックルズに枕を寄せて近づき、笑顔で言った。

「ほらな、言ったろ。映画をみるかゲームをするか」

「寝てぇんだよ⋯⋯」

ナックルズの返事を聞いて、ソニックは少し寂しそうな顔をして、再び布団に潜り込んだ。

そして、小さい声で返した。

「⋯⋯大丈夫だよ、ナックルズ。俺がいる」

「⋯⋯おう」

ナックルズは低い声で短く答え、やがて深い眠りについた。