第11話「灰色のハビシュ 4」

タレイア神殿の地下、薄闇に沈むコンピュータールームでは、黒ローブの三つの影が情報端末に向かって指を忙しく動かしていた。

「予備の無人機、設定しておくね⋯⋯」

「ソニックとシャドウ、来ちゃうと思うけど⋯⋯まあ、ポンコツ無人機なんて、またすぐ壊されるよねぇ」

「さっきと一緒で、アラームぐらいには、なるよ~⋯⋯」

しわがれた声が、機械的な残響をまとって石壁に跳ねた。

残る一体――ハビシュだけは、ひとり、神殿の奥へ続く細い通路を進んでいた。

影に引きずられるように連れてこられているのは、媚薬で一切の力を奪われたナックルズだった。

床を擦る音が、頼りなく続く。ナックルズの身体は熱でぐらつき、意識は波のように揺れている。

腕も脚も動かず、胸の奥に溜まった息は漏れ出すばかりだった。

「あ⋯⋯っ、う⋯⋯」

石造りの通路に引きずられ、うめき声が通路に響く。

ハビシュは、苦しむナックルズを気にする素振りもなく、何度も角を曲がり、ついに薄暗く閉ざされた小部屋の前で立ち止まった。

ナックルズを軽く放り込み、床に転がす。

「あ、ぐ⋯⋯っ」

身体を支えようとする意思はあるのに、動ける力はない。媚薬による熱が、神経の奥をじんじんと焦がしている。

ハビシュは、ナックルズが所持していた情報端末を奪い、指を滑らせ、カメラを起動させた。

「ナックルズ君⋯⋯撮影会、しよっか。シャドウに、楽しいところ⋯⋯みせてあげよ⋯⋯?」

その声は、異様なほど抑揚がなく、しかし粘ついた甘さがあった。

シャドウの名を聞いた瞬間、ナックルズの身体が、びくりと跳ねた。熱病の奥に埋もれていたその名が、身体の最深部を刺激した。

逃げたい。

こんな姿、シャドウには絶対に見られたくない。

ナックルズは床の上で必死に身をよじらせた。爪先も、手のひらも、まともに動かない。

「っ⋯⋯あ、う⋯⋯っ!」

それでも、もがいた。しかし、ハビシュはふいに動きを止め、端末をぽとりと床に落とした。

「もう⋯⋯時間も、ないよねぇ。もうすぐ⋯⋯シャドウが来ちゃう。⋯⋯もうすぐ、全部終わる⋯⋯」

その声には、疲労のような諦めのような、奇妙な空洞があった。

ハビシュはしゃがみ込み、ナックルズの首元に手を伸ばす。細い指先が、皮膚に触れた、その瞬間。

「ひ⋯⋯⋯っ!」

ナックルズは、喉の奥から大きな呻きをこぼした。

触れられたところから、痺れた熱が跳ね上がる。不規則な呼吸が漏れ、胸が勝手に上下する。

ハビシュの手が、ゆっくりと胸に滑った。

ナックルズの身体がびくびくと震える。

声を抑えきれず、細い喘ぎが空気に混ざる。

「ア⋯⋯ッ⋯⋯!」

逃げたい。

恐怖と屈辱と熱で、頭が割れそうだった。

ハビシュは、その反応すら面白がるように、囁く。

「大きな声⋯⋯出さないで。あいつらが⋯⋯来ちゃうよ?」

息が止まる。

――“あいつら”。

その呼び方に、ナックルズの思考が一瞬だけ研ぎ澄まされた。

(あいつら⋯⋯? 突き放すような言い方⋯⋯)

ナックルズは気付いた。残る三体と、この目の前の一体の差。

(多分⋯⋯こいつが⋯⋯ハビシュ)

目の前にいる黒ローブ、ハビシュと他の三体には、わずかな断裂がある。ぼやけた意識の中でも、それだけは鋭く伝わってきた。

ハビシュの正体は“中心”ではない。

支配者ではない。

むしろ――追い詰められている側の匂いがした。

息を荒げながらも、ナックルズは思考を止めなかった。

(⋯⋯情報を⋯⋯引き出せる⋯⋯)

キュイは脱出した。きっとシャドウが来る。

(その前に⋯⋯こいつの弱点を掴めば、シャドウが絶対になんとかする)

ナックルズはあがくのをやめ、身体の力を抜き、意図的に大人しくなった。

従順なふりをする。そして、唇を震わせながら、絞り出した。

「⋯⋯ハ⋯⋯ビシュ⋯⋯」

その名を呼ばれ、ハビシュの手が止まった。ナックルズは続ける。

「俺で⋯⋯よければ⋯⋯はなしを、きく⋯⋯ぜ」

小さな沈黙。その後、

「⋯⋯うふふ⋯⋯そうだよぉ。僕がハビシュ。よくわかったねぇ⋯⋯」

乾いた笑いが零れ、ハビシュはナックルズの身体を引き寄せた。

二人の身体が、密着する。熱と痺れのせいで、ナックルズの呼吸は浅く、乱れた。

(⋯⋯我慢⋯⋯できる⋯⋯⋯⋯シャドウのためなら⋯⋯)

胸の奥の、熱い核だけを頼りに、ナックルズは耐えた。

ハビシュは、ナックルズの耳元に、ほとんど触れるほど近づいて囁きながら、独り言のように語り出した。その声は、狂気よりもむしろ哀れな響きだった 。

「僕はねぇ⋯⋯出来損ないなんだぁ。“みんな” にそう言われた。シャドウはいいねぇ。“完成品” だからねぇ。僕は未完成の失敗作。うまくいかなかったって、実験も途中でやめられちゃった」

言葉は一方的で、感情の流れは滅茶苦茶だった。

「僕は出来損ないだから。こうやって喋ってるけど、機械式の音声装置がないと声もだせない。耳も弱い。補聴器を頭に埋め込んでる。身体は自由に動かせる。でもくだらない。あいつらの方が、もっとよく動ける」

ハビシュは続ける。だんだん早口になっていく。

「どうせあいつらの方がうまく動く。あいつらの方がかしこい。あいつらの方が必要とされている。でもあいつらはいつも、僕にぴったりついてくる。僕に楽しめっていう。もっと怒った方がいいって。恨め、殺せ、壊せって」

ナックルズは熱で霞む頭の奥で、歯を食いしばるように考えた。

ハビシュは主導者ではない。今回の騒動の主導権は、むしろ残りの三体の方にある。

ハビシュは、苦い笑いを浮かべながら続けた。

「頑丈で⋯⋯健康で⋯⋯純情な子を見ると⋯⋯うらやましいんだぁ⋯⋯君みたいな⋯⋯ねぇ⋯⋯」

その瞬間、爪が胸元に立てられた。

鋭い痛みと、媚薬のせいで異様に敏感になった身体が跳ねる。

「っ⋯⋯く⋯⋯!」

ナックルズは声を噛み殺そうとしたが、堪えきれず、背筋が弓のように反った。

その拍子に、ハビシュの黒ローブのフードが落ちた。

あらわになったのは、くすんだような灰色の毛並みのハリネズミ。

どこか病的で、子どものようにも見えた。ハビシュは薄く笑った。

「今は⋯⋯あいつらがいないから⋯⋯僕が君を、好きにできる。⋯⋯ねぇ⋯⋯噛んで、いい⋯⋯?」

その瞬間、ナックルズは反射的に身体をそらした。逃れようともがき、床に崩れ落ちる。

「あ⋯⋯っ⋯⋯!」

力が入らない。腕が、脚が、まったくいう事をきかない。

ハビシュが覆いかぶさる。ナックルズの両腕を押さえつけ、動きを封じる。

そして――左肩に、ゆっくりと噛みついた。

「うああ⋯⋯!」

ナックルズは悲鳴をあげてのけぞった。

その時、不気味な気配が、ハビシュの背後に滲んだ。

「ひとりで、勝手に、なにしてるの⋯⋯?」

「ナックルズ君に噛みついて楽しんでるんだぁ。じゃあ⋯⋯僕らも⋯⋯」

「同じ場所に⋯⋯噛みつかないとねぇ~」

三つの影。
三つの声。
三つの気配。

残りの三体が、部屋に入ってきた。

空気が腐ったように淀み、ナックルズの肌を刺す。だが、ナックルズの心には、弱々しいながらも一本の光があった。

(⋯⋯来る⋯⋯シャドウは、必ず来る⋯⋯)

その確信だけが、焼けつくような熱の中で、ナックルズをかろうじて支えていた。


石造りの部屋の空気が、わずかに揺れた。

扉の外から、柔らかい足音が三つ、近づいてくる。ハビシュは、ナックルズの肩からそっと歯を離し、顔を上げた。

色の抜けた目つきで、入口に視線を向ける。

「⋯⋯ユニ」

その小さなつぶやきに、ナックルズの意識がはっきりと焦点を結んだ。

――ユニ。

反究極生命体の名前。

ルージュの報告で聞いた、あらゆる遺伝子を破壊する存在。

(こいつらが、ユニ⋯⋯⋯)

黒ローブの三つの影が、並んでナックルズの前に立つ。

「ハビシュ。フード、とったの?」
「じゃあ、僕らも、とらなきゃね」
「おこんにちは~」

三つの影が、同じタイミングでフードをつまみ、ぴたりと肩まで下ろす。

露わになった顔は――三つともハビシュとまったく同じだった。

くすんだ灰色の毛並み。疲れたような目。どこか病的で、子どものようにも見える姿。

(⋯⋯同じ顔。物まねするみたいな喋り方。こいつら、ハビシュのコピーってわけか⋯⋯)

目の前のハビシュと、ほとんど区別がつかない。

だが、ナックルズは聞いたばかりだった。ハビシュ自身の言葉を。

“あいつらの方がよく動く”
“あいつらの方が賢い”
“あいつらの方が必要とされてる”

(ハビシュの言い分どおりなら――こいつらが、本当の黒幕⋯⋯!)

ナックルズは、痺れた身体に必死で力をこめた。

だが、手足は思うように動かない。指先に入れたはずの力は、空振りするように逃げていく。

フードを取った三体の灰色ネズミ――ユニたちが、無表情のまま、じり、と近づいてきた。

その瞬間、ハビシュがわずかに動いた。

ナックルズとユニのあいだに、割って入るように、自分の身体でナックルズを隠す。

(何を⋯⋯⋯?)

思わず、ナックルズの目が見開かれる。

ナックルズを、庇おうとしているように見えた。しかし、その微かな動きは、次の瞬間には霧散する。

ハビシュは自分のおこないに気付き、すぐに表情を消した。

諦めたように肩を落とし、ナックルズからすっと離れる。

三体のユニが、何事もなかったように、入れ替わるように前に出た。ハビシュが噛みついたナックルズの左肩――そこへ、順番に顔を寄せていく。

「じゃあ⋯⋯」
「同じ場所に⋯⋯」
「噛みつかないと、いけないねぇ~」

三つの口が、代わるがわる、全く同じ位置に食いついた。

「っ⋯⋯う、ぐ⋯⋯! あ、う⋯⋯! いっ⋯⋯!」

肩の一点に、痺れるような痛みが何度も走る。

媚薬で過敏になった神経が、そのたびに焼き付けられるように反応した。
息が喉で詰まりそうになる。

だが、ナックルズの意識は、不思議と沈まなかった。

(⋯⋯まだ、いける⋯⋯)

恐怖はある。痛みもある。

それでも、心そのものを飲み込むほどの絶望はなかった。

――シャドウは来る。

その一点だけが、ナックルズの中で強く燃えていた。左肩の痛みが続く中で、別の違和感がじわりと浮かび上がる。

(⋯⋯さっきから⋯⋯)

ギリアンでも、恐らくそうだった。タレイア神殿に来てからも――

三体のユニは、必ずハビシュがやった事を、必ず真似する。

同じタイミングで。
同じ場所で。
同じ言い方で。

先程ハビシュは、諦めたような口調で言っていた。

“あいつらはいつも、僕にぴったりついてくる”

そして――

“今は、あいつらがいないから、僕が君を好きにできる”

(⋯⋯あいつらが、いないうちに、俺を⋯⋯)

つまり、普段は常に一緒に行動している。ハビシュが何かすれば、ユニたちはそれを物まねしないと気が済まない。

(物まね⋯⋯コピーだから⋯⋯?少なくとも――)

三体のユニは、ハビシュの真似をやめられない。

そしてハビシュは、そんなユニたちに逆らえない。そんな関係性が、朧げながら浮かび上がってくる。

その時――外から、神殿ごと震わせるような大きな破壊音が響いた。

三体の灰色ネズミが、同じように首を傾ける。

「ああ、来ちゃった」
「来た来た⋯⋯」
「アラームが、鳴ったよぉ~」

ナックルズの心臓が、大きく跳ねた。

(⋯⋯シャドウ――!)

この破壊音。きっとシャドウが来た。

ナックルズは痺れた身体をうねらせ、出口の方へじたばたと這っていった。

しかし、一体のユニが、何の感情もなく、透明な液体を再び背中に浴びせかけた。

ばしゃりと冷たい感触がナックルズに降りかかる。すぐさま、熱が背骨を駆け上がる。

「――うううああっ!」

悲鳴とも喘ぎともつかない声が漏れ、身体が大きくのけぞる。筋肉が勝手に痙攣し、床に叩きつけられた。

「あ⋯⋯っあ⋯⋯、うっ⋯⋯⋯あ⋯⋯!」

びくん、びくんと、身体が勝手に激しく跳ねる。

呼吸が乱れ、意識が軋む。

ユニたちは表情ひとつ変えず、くるりと向きを変えてハビシュを見る。

「シャドウが、来たよ」
「シャドウを、絶望させてやろうよ」
「ナックルズ君が、役に立つよ~」

三つの同じ顔が、一斉にハビシュを覗き込む。ハビシュの顔に、分かりやすい感情が宿った。

絶望。

その後、また元の、諦めたような無表情に戻る。ハビシュは静かに息を吐き、再びナックルズの方へ身体を向け、手を伸ばした。

ナックルズは、痺れに逆らいながら、必死で口を動かした。

「⋯⋯ハ、⋯⋯ビ⋯⋯シュ⋯⋯」

ハビシュの視線が、ナックルズの顔に落ちる。ナックルズは、熱でかすむ視界のまま、声を絞り出した。

「じ⋯⋯ぶんで⋯⋯きめろ⋯⋯おまえの⋯⋯たたかい、なんだろ⋯⋯」

声は途切れ途切れで、聞き取りづらいかもしれない。それでも、伝えたいことは明確だった。

ハビシュは、今からシャドウと戦おうとしている。

ユニたちに命令されたから――嫌だけど、仕方なく。

(ふざけんなよ⋯⋯)

シャドウは、命を賭けて戦う。ハビシュを。ユニを。反究極生命体のすべてを止めるために。

だったら――

(お前が何をするのか、自分で決めろ。“僕はやらされてるだけ”みたいな顔して、仕方なくシャドウと戦うなんて、許さねぇ)

ナックルズは、もはや身体も口も満足には動かない状態で、なお必死にハビシュをにらみ続けた。

ハビシュは、苦しそうにナックルズの顔を見つめ――すぐに目を逸らし、伸ばしかけた手を引っ込めて、立ち上がった。

入口の方へ音もなく歩き出す。

「ナックルズ君は⋯⋯今はいいや。シャドウを殺してから⋯⋯のんびり、おもちゃにして遊べばいいよ⋯⋯」

それは、投げやりなようでいて、奇妙に自分へ言い聞かせているような声だった。

三体のユニが、嬉しそうに同じ表情を浮かべる。

「そういう楽しみ方かぁ」
「シャドウが前菜、メインディッシュがナックルズ君だ」
「シャドウ、今いくよ~」

四つの灰色の背中が、そろって部屋を出て行った。

見張りをひとりも残さずに。

扉が閉まると同時に、部屋の中には静寂と、荒い息だけが残された。

ナックルズは、身体の芯が焼けるほど熱いのに、皮膚の表面が冷えるような寒気を感じていた。苦しくて、痛くて、もういっそ楽になりたい。そんな弱音が、喉元までこみ上げる。

それでも、思考だけは止めなかった。

(⋯⋯見張り、なし⋯⋯四人とも、シャドウの所に行きやがった)

おそらく、ユニとハビシュは、基本的に“群れ”から離れようとしない。

さっきハビシュがナックルズを弄んでいた時でさえ、「今はあいつらがいない」とわざわざ言った。

ハビシュが何かをやれば、ユニも必ず同じことをやりたがる。ギリアンの地下クラブでも、今さっきの噛みつきでも。

その癖は、戦いの場でも変わらないはずだった。

(シャドウに⋯⋯伝えねぇと⋯⋯)

目だけ動かして、部屋を見渡す。床の上に、小さな端末が転がっていた。

キュイから借りて、自分が使っていた情報端末。

「⋯⋯っ」

首を伸ばす。痺れた身体を、わずかずつ引きずるように動かし、頭を端末の近くへ持っていく。

腕は動かない。指も動かない。

(⋯⋯だったら――)

ナックルズは、無力な自分を、一瞬だけ笑って、口元に力を込めた。

「う、うー⋯⋯っ、⋯⋯う⋯⋯」

歯を食いしばり、首を振る。頭を情報端末の上に乗せ、顎で端末を操作する。

画面が明るくなる。

ナックルズは、指の代わりに、舌をゆっくりと動かした。

「ん、ぐ⋯⋯っ⋯⋯んん⋯⋯」

舌先で、メッセージ画面を起動させ、画面上のキーボードを押す。一文字、また一文字。ひらがなでメッセージを入力していく。

端から見れば、間抜けの極みだった。それでもナックルズは諦めない。

(⋯⋯なんだっていいから、わかった事をシャドウに伝えねぇと⋯⋯)

必死で、“文字”を紡ぐ。

――ゆ
――に
――が

画面に、ひらがなが並んでいく。

「⋯⋯んっ⋯⋯んん⋯⋯」

舌も痺れて、動かしづらい。しかし、急いでシャドウに伝えなければいけない。

ハビシュとユニの戦いの癖がわかっていれば、シャドウが勝機をつかみやすくなるかもしれない。

――ゆにがさんにん
――ひとりははびしゅ
――ゆには はびしゅのまねばかりする

ようやく、その文が完成した。

「⋯⋯はぁ⋯⋯っ⋯⋯」

肩で息をしながら、ナックルズは舌先を最後の一箇所に伸ばす。送信ボタン。

ぴ、と小さな音がして、画面の表示が切り替わった。メッセージは――シャドウの端末へ送られた。

(⋯⋯頼んだぜ、シャドウ⋯⋯)

視界の端で、薄い石天井がゆらめく。意識が、ふっと暗くなりかける。それでも、ナックルズの胸の奥では、ひとつの希望だけが強く鳴っていた。

――灰色の群れには“規則”がある。

あとは、それを託されたシャドウが、どう使うかだけだった。


タレイア神殿の前庭は、砕け散った石片と機械の火花で埋め尽くされていた。

薄暗い空気の上で、旧型無人機の群れが低い唸りをあげる。しかしその中心では、青と黒の二本の軌跡が、疾風のように交差していた。

「前座が長過ぎるって!ナックルズとハビシュは一体どこだよ!」

ソニックが無人機を蹴り飛ばしながら、軽口を叩く。

「黙って手足を動かせ」

シャドウは冷ややかに言い放ち、無人機の腕を掴んで別の無人機に投げつけた。

鉄の塊が爆ぜる音が響いた、その時。シャドウの端末から、妙に可愛らしいメロディが流れ出した。

♪世界でたったひとつ⋯⋯♪

⋯⋯まるでこの戦場に似つかわしくない、甘いラブソング。シャドウが飛び上がった。本気で驚いたように。

「なっ⋯⋯!」

端末を確認したいのに、敵が多すぎて手が届かない。シャドウにしては珍しく焦った動きだった。

ソニックはその曲を知っている。セントラルシティの若い女性の間で流行っている超ベタな恋愛ソング。

“世界でたったひとつ” 。

(シャドウ、お前、そんなの聞くのかよ⋯⋯)

半笑いで気付かないふりをしようとしたソニックは、すぐに気付く。慌ててシャドウに向かって叫んだ。

「シャドウ、その着信⋯⋯もしかして、ナックルズじゃないのか?!」

シャドウやナックルズが使う端末は、ユーザーIDごとに着信音を設定できる。

ナックルズ専用の端末はない。だから必要なときだけ、シャドウやテイルスの端末を借りてログインして使っていた。

つまり――もし「ナックルズID」からメッセージが届いたなら、シャドウの端末は“その曲”を鳴らす。

ソニックは敵の大半を引き受けるようにシャドウの前へ踊り出る。

「今だ!シャドウ!」

シャドウは一瞬で端末を開き、画面を確認した。ソニックはへらっと笑って叫ぶ。

「その曲イイよな! べったべたのラブソングだけどさ、サビの“世界でたったひとつ、大事なもの~” ってとこ! 後でナックルズに歌ってやれよ!」

シャドウはソニックに背を向けたまま、冷徹な声で言った。

「黙れ。ラブソングなど興味はない。ただ歌詞が気に入っただけだ」

そして端末を放り投げるようにソニックへ渡し、代わりにシャドウがソニックを庇うように前へ出た。ソニックは怪訝な顔で端末を覗き込む。

画面には、頼りないひらがなだけの文字列。

「ゆにがさんにん ひとりははびしゅ ゆには はびしゅのまねばかりする」

ナックルズのID。ひらがなだけ。頼りない、必死の文字。

ソニックの身体に緊張が走る。

(ナックルズ⋯⋯!)

ユニが三人。

一人はハビシュ。

ユニはハビシュの真似ばかりする。

そして、キュイの報告を思い出した。

ハビシュは“シャドウを模して造られた人工生命体”。

ユニは“ハビシュの遺伝子の複製体”。

ユニの攻撃は“三体でひとつ”。

つまり――黒ローブの四人は、ハビシュ+ユニ三体の群れ。

そして、ユニはハビシュの真似をする。

ハビシュの行動が、三体のユニの、行動の起点となる。ソニックは歯を食いしばり、端末をシャドウに投げ返した。

「わかったぜ⋯⋯親友。お前のメッセージ、頭に叩き込んだ」

シャドウは微かに頷いて端末をつかむ。その瞬間――周囲の空気が湿るように、白い“もや”が現れた。

突然、霧が発生したのかと、シャドウは目をしばたいた。しかし、気付いてすぐに叫ぶ。

「ユニだ!!」

「っ⋯⋯!」

ソニックはとっさに無人機を投げつけた。だが白いもやは、ぬるりと粘性を持ってそれを受け止め、無人機を弾き返した。

「うへぇっ、何だ、今の!」

そこへ⋯⋯抑揚のない、しわがれた機械音声が響いてきた。

「いらっしゃい⋯⋯」
「待ってた、待ってた⋯⋯」
「シャドウ、ついでにソニック⋯⋯」
「僕たちと、遊ぼうよ~⋯⋯」

四つの影が、ゆっくりとこちらへ歩いてくる。黒ローブのフードは肩まで降ろされ、頭部が完全に露出している。

薄暗い影を背負った、まったく同じ顔の灰色のハリネズミ四体。

ソニックはひゅう 、と口笛を吹いた。

「最終決戦。ラスボス四体って感じだな」

シャドウは吠えるように叫んだ。

「ナックルズを返せ!!」

灰色たちは、順番に口を開く。

「ナックルズ君は⋯⋯僕たち四人で食べちゃったぁ」
「バラバラに壊して、パクパクしちゃったよぉ」
「おいしかった、おいしかったぁ」
「悲鳴が、とびきりかわいかったよぉ~」

ソニックは即座に判断した。

(嘘だ。ナックルズは生きてる。さっきメッセージが届いたばっかだ。それにこいつら、シャドウに嫌がらせする為に、やるなら絶対目の前でやりたがるはずだ。シャドウに見せつける前に殺すわけがない)

そして、ナックルズから届いたメッセージ。

“ユニはハビシュの真似ばかりする”

今しがた四人は、二周に渡って、順番に喋った。

最初に喋ったのは、向かって左から二番目の灰色。次に他の三体が同じように続く。

(なるほど⋯⋯真似するって、こういう意味か)

シャドウが叫ぶ間に、左手から二番目の灰色が両手を上げた。すると、一瞬だけ遅れて、他の三体も同時に両手を上げる。

白いもやが一斉にうねり出す。

「遺伝子破壊攻撃だ!!」

シャドウは叫び、もやの奔流を避けて飛ぶ。ソニックはひるまず、スピンでもやに向かって突っ込んだ。

「うっぎゃあああ!」

電流を受けたような強い痛みが全身に貫通し、地面に転がった。

「いってぇぇぇぇ!」

シャドウは、呆れを通り越した顔で言った。

「馬鹿か君は。もやの濃さが世界中で見た時のものとは段違いだ。あれは結局試作品かフェイク。これが本物のユニの威力だ」

ソニック達は、医療班にもらった遺伝子攻撃を無効化する薬を飲んでいるが、それは不完全なデータを元に、即席で作った薬。

本物のユニの攻撃を完全には防げないようだった。

「薬を飲んでいるからといって、何度も受けていい攻撃じゃない」

「わかってるよぉ⋯⋯!」

もやはどんどん周囲に広がっていく。

ソニックは壊れた無人機を掴み、わたあめのようにもやを掬って放り投げる。シャドウは隙を狙い、奥に引っ込んだ灰色――ハビシュを狙って飛び込んだ。

だがユニ三体が一斉に反応し、白もやを吹きかける。

直撃。

シャドウがわずかに膝を折った。

「シャドウ!!」

ソニックは大型無人機の残骸を思い切り押し倒す。

白いもやが周囲に逃れ、同時に無人機がシャドウに倒れ込む。シャドウは寸前で横へ飛び、直撃をかわした。

礼の代わりに嫌味を言う。

「わざと僕を狙ったな」

「ギリギリかわせる程度にな!」

二人の呼吸が、戦場の熱とともに合わさって、同じ方向に向けられた。シャドウは短く告げた。

「――ハビシュを狙う」

ソニックは、無人機の残骸を肩に担いで笑う。

「オッケー! 協力するぜ!」

青い閃光と黒い疾風が、灰色の群れへ向けて再び駆け出した。


白いもやに囲まれた前庭は、戦場というよりも、巨大なひとつの籠罠のようだった。

その中心で、シャドウは瞬きより速く身を翻す。

まず、手前のユニへ斬り込むふりをした。鋭いフェイント。誘いの一歩。ユニ三体は、案の定、その動きに反応した。

一体が静かに後退し、もやを吹き出そうと両手を上げる。

同時に、ソニックが奥側へ突っ走り、無人機をぶん回して二体の注意を引きつける。

その刹那、シャドウの残像が消え、次の瞬間には、奥に立つ黒ローブへ向かった。

他の三体の影に隠れるように構える灰色のハリネズミ──ハビシュ。

シャドウは、迷いなく一撃を叩き込んだ。ハビシュの身体が横へ弾け飛ぶ。石床に転がり、左腕を押さえた。

「⋯⋯痛い⋯⋯」

弱々しく漏れたその声に、すぐさま三体のユニが反応する。

「怪我しちゃったのぉ?」
「じゃあ、僕たちも⋯⋯」
「怪我しなきゃいけないね~」

三体が自ら無人機へ体当たりし、同じように左腕を押さえた。

ソニックとシャドウは、その瞬間、ナックルズが伝えたかった意味を完全に理解した。

――ユニは、ハビシュの真似ばかりする。

ならば狙うべきは、ただ一体。二人は同時に前へ飛び出した。

シャドウの蹴り。ソニックの拳。攻撃がハビシュに当たるたび、ユニたちも自ら身体を傷つける。

ハビシュは耐えきれず前のめりに倒れた。ユニたちはハビシュを囲み、口々に呟いた。

「これは、まずいね⋯⋯」
「撤退しよ、撤退しよ」
「大丈夫だよ~、僕たちにはとっておきの人質がいるもの~」

空気が凍る。

とっておきの人質──ナックルズ。

一瞬でも逃せば終わる。シャドウとソニックは、息を潜めて構えを変えた。

三体のユニは、動かないハビシュを覗き込んだ。ハビシュはうつむいて喋らない。

代わりに、ユニたちがシャドウとソニックへ向けて喋り出す。

「ナックルズ君は生きてるよ⋯⋯」
「動けないようにしてあるけどね」
「壊されたくなかったら⋯⋯この意味、わかるよね~」

三体の腕が、ゆっくりと上がった。

二対三。

おそらく一体はナックルズのもとへ戻る。

逃がせない。絶対に。

シャドウとソニックが地を蹴った。

同時にユニたちも腕をかざし――その刹那。

ハビシュが立ち上がり、三体のユニの前に飛び込んだ。左右から放たれる二撃が、ハビシュの身体へ直撃する。

ハビシュは激しく後方へ吹っ飛ばされて、そのまま倒れ込んだ。

かすれた声でハビシュが小さくつぶやく。

「⋯⋯自分で⋯⋯決めた⋯⋯決着は⋯⋯ついたんだぁ⋯⋯」

ユニたちの身体が震えた。そして、首を揺らしながら、順番につぶやく。

「決着⋯⋯ついたのぉ⋯⋯?」
「だったらぁ⋯⋯僕たちは⋯⋯」
「壊れないと⋯⋯いけないね~⋯⋯」

三体の腕が上がる。

次の瞬間――白いもやがユニたち自身に襲いかかった。

雷のような音と、電撃のような光が走る。三体の身体が強く痙攣し、地面に崩れ落ちる。

四体の灰色のハリネズミは、その場に倒れたまま完全に動かなくなった。


「ナックルズ!!」

シャドウとソニックは、同時に神殿の内部へ駆け込んだ。

別行動で通路へ散り、命を削るように走る。ソニックの心臓が痛むほど跳ねた。

(無事だよな。無事に決まってる。頼む⋯⋯無事で⋯⋯!)

石の通路を音速で駆け抜け、角を曲がったその瞬間。ソニックは飛び上がった。

石でできた長い階段の一番下。

赤いハリモグラが、逆さまになって大股を開き、ひっくり返っていた。

「ナックルズ?!」

裏返った叫び声で、ソニックは駆け寄る。ナックルズは顔を真っ赤にし、ふぅふぅ喘ぎながら半目でソニックを見る。

口には、情報端末をくわえたまま。

「んん⋯⋯むぅ⋯⋯」

力なく呻くナックルズを、ソニックは抱え起こした。

身体は熱く、息も荒い。ぐったりして指一本動かない。

「ナックルズ、大丈夫か?!」

ナックルズは端末をくわえたまま、もぐもぐと口を動かす。

その瞬間、ソニックの端末が鳴った。画面に映るのは、ひらがなのメッセージ。

「からだがいたくて うごけねえ」

ソニックは悟った。

(⋯⋯これ、舌で⋯⋯端末を操作して、入力したのか⋯⋯)

震えが走る。

「お前⋯⋯タフすぎるだろ⋯⋯!」

ナックルズの頭を軽く支えながら呟く。その時、石床の上を走る滑走音が近づいてきた。

焦りと殺気と心配を混ぜたような、ひたむきな気配と共に、シャドウが飛び込んでくる。

息を荒げ、目を見開き、勢いを止められず、ナックルズの前に転がり込んで膝をついた。

ナックルズは、端末をくわえたまま、もぐもぐと口を動かす。

♪せかいでたったひとつ⋯⋯♪

甘いメロディが、暗い通路に広がる。

シャドウが端末を開くと、短いメッセージが表示された。

「おせえよ」

シャドウの手から端末が滑り落ちた。

震える両手で、ナックルズの右手をそっと包み込み。声にならない吐息の後に、かすれた言葉を絞り出した。

「⋯⋯よく⋯⋯無事で⋯⋯!」

その声は、戦場の騎士のものではなかった。

目の前のただひとりを失うまいとする――深い想いだけを宿した、ひどく優しい声だった。


それから、数日が過ぎた。

反究極生命体・ユニの脅威が去った後も、まだ世界は以前の呼吸を取り戻していなかった。

世界政府の地下施設は、まるで大嵐のように忙しさに満ち、研究者たちは山積みのデータを抱えている。

諜報員たちは消滅した組織の残骸をつなぎ合わせ、医療班は遺伝子破壊攻撃に耐えうる新たな医療プログラムの更新に奔走し、

保守チームは――

ナックルズに破壊されたエントランスとひび割れた超特殊強化ガラスの部屋の修繕に追われていた。

エージェント総動員の激務の中で、唯一たっぷり長期休暇をとり、その場にいない者が一人いた。

究極生命体・シャドウは、エンジェルアイランドにこもっていた。


エンジェルアイランドの端に建てられた小さな小屋。そのベッドの上で、ナックルズは横になっていた。

身体はもう健康そのものだった。

媚薬の効果さえ抜けてしまえば、エキドゥナ族の丈夫な体はすぐに立ち直る。本来なら、とっくに島の警護に戻れていた。

しかし、シャドウがそれを許さなかった。

ナックルズが横目でちらりと見ると、シャドウは椅子に腰掛け、静かに本を読んでいる。

ナックルズの呼吸の大きさに合わせてページをめくるかのような、妙に丁寧で優しい手つき。

しかし、その横顔はもうずっと硬いままだった。

熱はないか。痛みはないか。ちゃんと食べたか。眠れたか。必要な世話はすべてしてくれる。

しかし、シャドウは一切、ナックルズの身体に触れようとしなかった。必要な薬を塗るときすら、指先は驚くほど慎重で、距離を測るようだった。

(⋯⋯嫌われたかもな)

ナックルズはそっと背中を向けた。

戦いの中で、自分がしでかした数々の無茶。

キュイを巻き込み、勝手に暴走したこと。敵に捕まり、シャドウに負担をかけたこと。理由は挙げればいくらでもある。

胸の奥がひどく苦しくて、ナックルズは言葉を発せず、ただ布団を肩まで引き上げた。


小屋の扉が開き、青いハリネズミが元気に飛び込んできた。

「ヘーイ、ナックルズ。差し入れ持ってきたぜ!」

ソニックがひょいっと卵のサンドイッチを差し出す。

「これ、セントラルシティで人気のパン屋のサンドイッチ。優しくて食べやすい味だからって、テイルスのオススメ。俺は激辛スペシャルBBQチリを買おうと思ったんだぜ。でもそれは元気になってからのお楽しみって事で」

ベラベラと軽口の止まらないソニックに、シャドウがすぐさま眉を寄せた。

「もう少し静かにできないのか」

「お前はもっと明るくお喋りしろよ!」

小屋の中で小さな口喧嘩が始まる。その音が懐かしくて、ナックルズは胸が痛くなった。

ソニックが声をかける。

「ナックルズ、食えよ」

「⋯⋯んー」

振り向く気力はなかった。言いようのない苦しさが喉にひっかかる。泣きそうな顔を見られたくなくて、布団に潜り込んだ。

ソニックがしかめっ面になる。

「おい、ちょっとこっち来い!」

ソニックはシャドウの腕を掴み、強引にシャドウを小屋の外へ引きずり出した。


島の風が、二人の間を吹き抜けていく。

「⋯⋯なんだこの空気。つきっきりで看病してるって聞いたから安心してたのに、お前、ナックルズに何をしたんだよ」

ソニックの問いに、シャドウは黙ったまま目を伏せた。長い沈黙のあと、低い声がようやく落ちる。

「別に、何も。⋯⋯どうしてやればいいのかが⋯⋯わからない」

ソニックは盛大に眉をしかめた。

「いや、わからないって⋯⋯抱きしめて、歌でも歌って、ほっぺにチューでも」

「ふざけるな」

冷たく切り捨てたあと、シャドウは暗い眼差しでうつむいた。

「⋯⋯ずっと側にいる。看病もする。ただ、その先に関して⋯⋯僕は⋯⋯」

言いかけて、言葉を失う。短く息を吐いたあと、ソニックをにらむ。

「看病の邪魔だ。帰れ」

そう言って小屋の中へ戻ってしまった。ソニックは大げさに肩を落とし、扉を眺めた。

(⋯⋯わかんないやつらだなぁ。でも⋯⋯)

“ずっと側にいる”と言い切ったシャドウ。

シャドウは少なくとも、ナックルズの前から黙って消えるつもりはないらしい。

(ただ、側にいたい。今はきっと、それだけなのかもな)

ソニックはニカッと笑い、深く息を吸い込んだ。

♪せかいでたったひとつ~~だいじなもの~~~♪

大声でサビを歌いながら、小屋へ突撃した。シャドウが喋らないなら、自分が喋って、小屋を明るく照らしてやればいい。

ソニックは小屋の真ん中で踊りながら歌い、シャドウに尻を蹴飛ばされた。

布団の中から、笑いを隠す、小さな吐息が聞こえた気がして、ソニックは再び楽しげに歌い出した。

空は青い。

エンジェルアイランドには、いつも通りの澄んだ風が吹いていた。