僕は幸福だ。
昨日の探検も、突然穴の中でナックルズと二人きりになってしまって緊張したけど、ナックルズは優しかった。温かかった。いい匂いがした。
ナックルズは秘宝をみつけて、ずっとはしゃいでいた。彼にはああいう側面もあるんだな。
ナックルズが僕に向けた笑顔。探検が成功して喜ぶ、無邪気な⋯⋯
⋯⋯本当に、そうか⋯⋯?
あの時、船の上でソニックはどんな顔をしていたか。思い出せない。
僕はソニックの顔を見ようとしなかった気がする。
ソニックの顔を見てはいけない。
ソニックが僕の事をみているから。
なぜソニックは僕の顔を⋯⋯?
いや、僕は正しい事をした。ソニックが間違っているに決まってる。
⋯⋯⋯ナックルズが、僕に向かって笑いかけてくれていたのだから。
ソニックは、チリドッグ屋の前でメニューの看板をにらんでいた。
「チリチーズか⋯⋯スペシャルビッグチリか⋯⋯」
こないだの朝はシャドウのせいで、どっちも食べ損ねた。だったら今日は両方食べてやるか。
そう思って、注文カウンターへ足を向けかけて、ふと歩みを止める。
(⋯⋯ナックルズ、飯ちゃんと食えてんのかな)
胸の奥が、嫌なふうにヒヤリとした。暗闇の中で押し倒されて震えていた、親友の泣き顔がよみがえる。
(あいつに、チリドッグでも差し入れてやればいい。ついでにさりげなく様子を見に行ってやれば⋯⋯)
そこまで考えて、ソニックはもう一度、ぴたりと足を止めた。
船の上のナックルズの姿が、鮮明に頭に浮かぶ。
ナックルズはソニックと一度も目を合わさなかった。
ひたすら笑顔でシャドウに話しかけるナックルズ。シャドウの肩に手を置き、顔をのぞきこみながら、身体じゅうで訴えていた。
──ソニック、何も言うな。頼む。
あれはそういうサインだった。ソニックは歯を食いしばり、看板から視線をそらした。
(⋯⋯俺の気持ち、あいつにとっては邪魔なんだな)
食欲は跡形もなく消えていた。ソニックは何も買わずに、チリドッグ屋に背を向ける。
街の風が、妙に冷たく頬をなでていった。
探検に行くために取った有給が終わった翌日。
シャドウは仕事終わりの夕暮れに、まっすぐエンジェルアイランドへ向かった。
空の色は茜から群青へ移ろいかけていて、祭壇のマスターエメラルドは、淡く優しい光を帯びている。
島に降り立った瞬間、祭壇の上からこちらを見下ろす赤い毛並みが、ぱっと動いた。
「シャドウ!」
ナックルズが駆け降りてくる。
風に混じって、夏草と果実の匂いがシャドウの鼻先をかすめる。シャドウは思わず、息を深く吸い込んだ。
「来たな。待ってたぜ、こっちへ来いよ」
陽気な声で、ナックルズは当然のようにシャドウの肩を抱いて祭壇へ導く。
肩に乗る体温が、じんわりと胸の奥まで広がっていく。
(⋯⋯今日は、いつもより機嫌がいいのか?)
祭壇にたどり着く前から、ナックルズはずっと喋りっぱなしだった。
「今日はな、でっかい木の実を見つけてよ。かじってみたら、思ったより甘くてさ。あと、草刈ってたらよ、なくしたと思ってたナイフが出てきたんだ。すげえだろ」
島の木々の事、空の雲の事、鳥の鳴き声の事。ナックルズの話題は途切れることを知らない。
「楽しそうだな。何かいいことでもあったのか?」
シャドウが首を傾げて問うと、ナックルズは一瞬、ぎくりと肩を震わせた。
「な、なんも心配ねぇよ。いつも通りだぜ」
妙に早口だった。
祭壇の縁に並んで座ってからも、その勢いは落ちない。島の様子についての報告は、いつもより細かく、いつもより楽しそうに聞こえる。
──いや、“楽しそうに聞こえるように”話そうとしている。
その違和感に気づくまで、そう時間はかからなかった。
「⋯⋯ナックルズ。疲れているのか?」
シャドウが控えめに問うと、ナックルズはぎょっと目を見開いた。
「つ、疲れてねぇよ。むしろ退屈してたんだ。まあ、ゆっくりしていけよ」
そう言って、彼はシャドウの手をぎゅっと握った。
稲妻のような痺れる感覚がシャドウの全身を駆け抜ける。
ナックルズに自分から触れることはあっても、会話の途中でナックルズの方から手を握ってくるのは、初めての事だった。
(⋯⋯握り返してもいいのか?それとも、なんでもないふりをした方が、彼を驚かせずに済むだろうか)
頭の中が熱でいっぱいになり、ナックルズの言葉が耳をすり抜けていく。
それでも、とにかく落ち着こうとして、シャドウはそっとナックルズの横顔を盗み見た。
ナックルズはシャドウと目を合わさないまま、早口で話し続けていた。
「今日は鳥がな、やけに綺麗な声で鳴いててよ。薬草を取りに行ったら、蝶が俺の鼻に止まってさ。ああ、それから湖のほとりに、なんか面白い形の花が咲いてて⋯⋯」
その声を聞きながら、シャドウの胸のどこかが、きゅうっと締め付けられる。
(⋯⋯止めてやった方がいいのかもしれない)
そう言いたくなった。「少し休め」と。
しかし、ナックルズはその言葉を、全力で拒んでいるようにも見えた。
やっぱり、疲れているのかもしれない。
そこに自分が来てしまったから、楽しませようと、無理をしているのかもしれない。
「⋯⋯ナックルズ」
シャドウは小さく呼びかけた。
「今日は、もう帰る。残った仕事を片づけなければいけないんだ」
ナックルズの口が、ようやく止まる。
「あ⋯⋯」
小さな声がこぼれ、ナックルズはシャドウの手を離した。
シャドウは立ち上がり、「明日また来る」と告げて、背を向けかける。
その瞬間だった。
右腕が、ぐいっと引かれる。
「⋯⋯⋯ッ!」
強く引っ張られて、シャドウはよろけ、ナックルズの肩にぶつかった。
「すまな⋯⋯」
言いかけて振り向く。
ナックルズはそのまま、シャドウの右腕を自分の胸元にぎゅうぎゅうと押し付けてきた。
「右腕、忘れてるだろ」
低く、少しだけ焦った声だった。
シャドウは戸惑いながらも腕を受け取りかける。
「疲れているなら、無理には⋯⋯⋯」
そう言いかけたが、ナックルズの表情を見て飲み込んだ。
──求めていない。
その言葉だけは、確かに拒絶されると分かった。
シャドウはそっとグローブを外し、両手で大事そうに右腕を持ち上げる。
そして、いつもの場所──掌の横側に、決して痛くないよう、細心の注意を払いながら、そっと歯を立てた。
(やっぱり、疲れているんだ。僕を気遣って、無理して右腕を差し出してくれている)
そう思うと、味も匂いも噛み心地も、何ひとつ楽しめなかった。
ただ口をもそもそと動かすだけになりながら、先程の、右腕を無理やり押し付けられた感触を思い返す。
──今まで、右腕を与えてくれることはあっても、無理に押し付けてくるようなことは、一度もなかった。
(⋯⋯ナックルズは、僕に右腕を噛ませてる間、何を考えている?)
ふと気になって、シャドウは顔を上げた。
ナックルズが、不安に揺れる目でこちらを見ていた。必死に、何かを確かめるような眼差し。
シャドウの心臓が、どくん、と大きく跳ねた。
(ナックルズが、不安そうに⋯⋯僕を?)
右腕をシャドウ以外には噛ませないと誓ってくれた。笑って腕を差し出してくれた。
今日だって、無理にでも噛ませようと押し付けてきた。
本当は噛んでほしくなかった?
いや、むしろ──どうしても噛ませたかった。
(何故だ?僕は⋯⋯彼に不安を抱かせるような、何かを⋯⋯)
──右腕を無理やり噛ませないと安心できなくなるような「罪」を。
その瞬間、暗い縦穴の中での記憶が、鋭くよみがえった。
墳墓の中、縦穴でソニックに殴られたこと。怒りで燃えるようなソニックの緑の瞳。
(あの時、僕は⋯⋯⋯)
ソニックは怒っていた。シャドウには理解できなかった。
きちんと許可は取った。匂いを嗅いでもいいかと聞き、ナックルズはいいぜと言った。
嬉しくて、我慢できなくて、飛びついた。
ナックルズも抵抗しなかった。
──あの時、ナックルズは、どんな顔をしていた?
シャドウは、そっとナックルズの右腕から口を離した。唇を閉じようとして、そこが細かく震えていることに気付く。
逃げ出したくなった。
ここから、彼の前から、この世の全てから。
しかし、ナックルズは、いつだって逃げない。守護者として、何があっても正面から受け止める。
(僕だけが、逃げるわけにはいかない)
シャドウは喉の奥から絞り出すように、かすれた声をこぼした。
「⋯⋯ナックルズ」
呼びかけに、赤い肩がぴくりと揺れる。
「あの時、僕は、君に一体、何をした⋯⋯⋯?」
その問いに、ナックルズの目が見開かれる。
身体からふっと力が抜け、後ろへよろめき、そのまま崩れ落ちるようにしゃがみ込んだ。
倒れるナックルズを支えようと、とっさに手を伸ばす。
けれど、目が合った。
泣きそうな顔。恐怖に怯えた瞳。
シャドウは、触れかけた手を引っ込めた。
身体中の血が音を立てて逆流する。身体中が、一瞬で凍りつく。
(消えよう。彼の前から。消えなければいけない。彼に触れることは、もう許されない)
肩に力が入り、後ろへ駆け出そうと足に力を込めた、その時。
耳障りな機械音が、上空から島を裂いた。
風を切る、鉄の羽音。
シャドウは振り向くより先に、ナックルズの腰を抱え込んで前方へ飛ぶ。直後、タタタタ、と地面に規則的な穴が穿たれた。
上空からの機銃掃射。
「無人機?!」
ナックルズが叫ぶ。
立ち上がって構え、瞬時に戦闘態勢に入った。
かつて、レジーナという半身機械の女がナックルズを攫うために送り込んできた、戦闘用無人機。
だが、今回の個体は前に見たものより小型で、腹部に見慣れない兵器を抱えていた。
「腹部の新兵器に気をつけろ!」
シャドウの警告と同時に、ナックルズは横に跳ぶ。
無人機の腹部から、刺すような光の線が放たれた。
レーザービーム。
シャドウは地を蹴り、無人機の側面へ走り込む。
頭部を蹴り飛ばそうと足を振り上げたが、それより早く、鋼鉄の翼は空を裂いて回避した。
無人機は高く飛び上がり、素早く旋回する。再び、腹部の銃口が光った。
「っ⋯⋯!」
ナックルズは、ビームを紙一重でかわし、正面から懐へ飛び込む。真正面からの突撃。未知の兵器に対して、あまりに無茶な戦法だった。
「おりゃあああッ!!」
全身の力を込めた拳が、無人機の腹部を貫いた。
瞬間、閃光が放たれた。
爆発音とともに、衝撃波が島を叩く。ナックルズの身体は後方に大きく弾き飛ばされた。
「ナックルズ!」
声より先に、身体が動いた。吹き飛ばされる赤い身体を視界の端にとらえ、その方向へ跳ぶ。
抱きしめるように腕を回し、衝撃の勢いを殺しながら地面に着地する。
「馬鹿な真似を!正面から突っ込むなんて、怪我は⋯⋯痛むところはないか、どこか異常は⋯⋯」
矢継ぎ早に問いかけながらナックルズの身体中を調べようとして、シャドウはハッと我に返り、慌てて手を離した。
(触れるな。もう、僕は⋯⋯⋯)
ナックルズは、顔を上げない。視線はシャドウの足元の少し先をうろついている。
「このくらい、なんともねぇよ」
どこか疲れたような声だった。
彼はよろよろと立ち上がり、爆散した無人機の残骸へ向かって歩いていく。
「レジーナのやつが、また動き出したのか⋯⋯?あいつ、世界政府に捕まったんじゃなかったのかよ」
シャドウは無理やり平静を取り戻し、答えを選んだ。
「レジーナの状況は、すぐに中央に確認を取る。本人ではなく、残党かもしれない。あるいは、第三者が残された兵器を入手して悪用している可能性もある」
ナックルズは、シャドウを見ずに、背を向けたまま言った。
「なんにせよ、マスターエメラルドを狙ってるやつが、また悪さし始めたってこったな。シャドウ、こいつらと戦うための情報が欲しい」
「当然、協力は惜しまない」
シャドウも無人機の残骸に歩み寄り、ナックルズの隣にしゃがみ込む。散らばるパーツをひとつずつ拾い上げ、分析のために頭へ焼き付ける。
(⋯⋯無人機が襲ってきたお陰で、彼の隣にいなければいけない理由が出来た)
ほっとしている自分に気付いてしまう。
この島の平穏こそが、ナックルズの幸せであるはずなのに。
敵の襲撃をありがたいと感じてしまった自分は、もはやきっとナックルズにとって脅威でしかない。
(情けない⋯⋯今すぐ、彼の前から消えてしまいたい)
それでも、拳を握りしめて自分を奮い立たせる。
──ナックルズを守る。
今は、そのためだけに、この命を使う。
(無事、こいつらを殲滅したら⋯⋯その時こそ、僕は⋯⋯⋯)
胸の奥で、ひっそりと決意が固まる。鉄の羽音が、シャドウの耳の奥にこびりつき、いつまでも離れなかった。