シャドウが森の祠から発見されて、六日目の朝だった。
日の出よりも早く、シャドウは世界政府の地下施設へ戻ってきた。
エントランスに足を踏み入れた瞬間、出勤してきた同僚エージェントたちがざわついた。
視線が一斉に集まる。浮き足立つように動く気配が伝わってくる。皆、シャドウの帰還を待ちわびていたらしい。
ルージュに会ったのは、それからすぐだった。
「帰還が遅くなり、申し訳ない」
シャドウが端的にそう告げると、ルージュは、長期任務から戻った時と同じ調子で言った。
「おかえり。まずはメディカルチェックを受けなさい」
それだけを言って、医務室へ送り出した。
その後、何人かの同僚に挨拶され、挨拶を返し、メディカルチェックを受け、“異常なし”の結果を受け取る。
ようやく自室へ戻る許可が出たが、シャドウは部屋でじっとしていられなかった。
すぐに次の任務を開始したいと主張した。
しかし、上層部への確認が必要だと言われたため、シャドウは、施設内の軽作業を手伝いながら、許可が下りるのを待つことになった。
──戦いたい。そう思った。
身体を動かしたい。出来る事をやりたい。必要とされる場所で、必要とされる事をしたい。命を賭けて、何かをやり遂げたい。
⋯⋯ナックルズのいない場所で。
それからしばらく、シャドウは寝る間を惜しんで戦い続けた。
ギャング同士の抗争の調停。紛争地域の警護。犯罪組織の拠点制圧。
あらゆる戦場。あらゆる任務。
その合間に、わずかに生まれる小休止。待機時間。給水中。
そのたびに、シャドウは、ナックルズに甘え続けた日々を、毎日、繰り返し、濃密に思い出しては噛みしめた。
腕に絡みついて、頬ずりをしたこと。指をしゃぶりながら、丸くなってうたた寝したこと。膝の上に乗って、背中をなでてもらったこと。
掌に噛みついたまま、眠りに落ちたこと。
足元によりかかって、日向ぼっこをしたこと。
腰にしがみついたら、抱き寄せて温めてくれたこと。
おんぶしてもらい、背中の温かさを感じながら、ナックルズの夢を見たこと。
ひとつひとつ。順番もなにも関係なく。何度も何度も、頭の中で再生した。
戦場でナックルズの匂いを思い出す。
胸の中が、ひりつくように乾いていく。
どれだけ水を飲んでも、喉の渇きが止まらなかった。
シャドウは、給水のたびにのどを鳴らしながら水を飲んでは、ナックルズの匂いを思い浮かべ、鼻をすん、とすすった。
そして十日目の昼。
ようやく、疲労が身体の重さとしてはっきり出てきた。
さすがにまずいと判断し、シャドウは同僚へ任務を引き継ぎ、戦線から一度離れた。
再度メディカルチェックを受ける。異常なし。そのまま仮眠を取り、しばし休息をとることに決めた。
ステーションスクエアの一角にある、こぢんまりとしたカフェに入る。
一人掛けの席につき、ホットコーヒーを注文した。一口飲んで、熱さと苦みが舌に乗る。
すぐにナックルズのことを思い浮かべた。
──会いたい。
しかし、次の瞬間にはその言葉を打ち消した。
会いになど行けるものか。あれだけ連日、甘え倒したばかりだった。たったの十日後に、また押しかけるなど、流石に迷惑に決まっている。
(いくらなんでも、甘え過ぎだ)
シャドウは小さく首を振った。
ぼんやりと、あの時のやり取りを思い出す。
“さすが究極様は甘えレベルも究極だな”
ソニックに首を掴まれ、引きずられた感覚。
“やめろ。シャドウは悪くねぇよ”
ナックルズの制止。
そして、あの夏草と甘い果実が混ざったような匂いに惹かれて、衝動のまま噛みついた──ナックルズの胸の、程よい弾力。
そこまで思い出したところで、シャドウは、ようやく気が付いた。
自分が何をしたのか。どこに噛みついたのか。その意味を。
ホットコーヒーが喉に詰まり、ゴホゴホとむせた。
顔が一気に熱くなる。
(ちょっと待て。なぜ僕は彼の胸に噛みついた?)
ナックルズは、右腕はシャドウ以外に噛ませないと誓ってくれた。
右腕以外はどうだったか。
噛んでいいとは、一言も言っていない。
背筋に、ぞわり、と悪寒が走った。
(僕はナックルズに向かって、なんてことを)
──彼は無事だろうか。
──僕の身勝手な蛮行のせいで、傷ついてはいないだろうか。
シャドウは必死に思い出した。あの時のナックルズの表情。ナックルズの声。
“い⋯⋯ 嫌じゃねぇよ。ちょっと痛かっただけだ”
ソニックから目をそらし、恥ずかしそうに胸元を隠す仕草。その光景が頭の中でくっきりと再生される。
心臓が、ドクン、と跳ねた。
胸に噛みついた時の感触を思い返す。
(⋯⋯柔らかかった)
自分の脳内に浮かび上がった言葉に、自分で目を見開いた。再びゲホゲホと激しく咳き込む。
さっきまでは悪寒がしていたのに、今度は、身体の内側が一気に熱くなる。
思わずテーブルに突っ伏し、顔を隠した。ばくばくと心臓の音が耳の中で響く。
のんびりホットコーヒーを飲んでいる場合ではない。
(謝罪だ! 今すぐ謝罪に行くべきだ)
ばっと顔を上げ、エンジェルアイランドを思い浮かべる。
しかしすぐに、また考え直す。
(謝罪をしたところで、彼の立場はどうなる?彼は僕のために恥辱に耐え、“平気だ”と振る舞ってくれた。今さら謝罪したら、あの時の恥ずかしさを、もう一度なぞらせることになるんじゃないか)
毛並みが、しょぼん、と下がる感覚がした。
(謝罪を言い訳にして、ナックルズに会おうとしているだけだ。誠意なんかじゃない。⋯⋯ただの下劣な下心だ)
短い尻尾が、内側へくるんと巻き込まれる。両腕で自分の身体を抱え込むようにして、背中を丸める。
(⋯⋯⋯会いたい)
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。
楽しげな音楽が流れ、客たちの笑い声があふれる賑やかなカフェで、シャドウは一人、泣きそうになっていた。
「おう、シャドウ!」
突然、真横から声をかけられた。
青い毛並みが視界の端に入る。明るく、はつらつとした声。
ソニックだった。
「うああっあ」
シャドウは妙な声を出し、椅子からずり落ちかけた。ソニックがちょっと身を引く。
「なんだよ、落ち着きないな」
ソニックは笑いながら、じっとシャドウの顔を覗き込んだ。
「仕事、忙しいのかよ。疲れてるのか?」
いつもの軽口。しかし、目は真剣にこちらを見ている。
心の内側を覗かれている気分になり、シャドウは少しだけ背筋を伸ばした。
「⋯⋯何の話だ」
そう返すと、ソニックは、声を落として言った。
「またしばらく、ナックルズに会ってないんだろ」
シャドウは、自分の手元に視線を落とす。
この男は、考えなしのくせに、すぐに核心を突くような事を言う。
「君の知った事ではない」と言いかけて、思い直した。
違う。知っているのだ。この男は、ナックルズのことを。
誰より近くで、誰より深く。
「⋯⋯彼は、元気か」
シャドウは目を合わせずに尋ねた。
ソニックは、少しの間黙ってシャドウを見て、それから言った。
「来いよ。自分で確かめろ。ちょうど今日、この街に来るんだ」
シャドウはぎょっとして、ソニックを見返した。ソニックはニヤリと笑う。
「エミーの誕生日パーティーやるんだ。お前も来いよ」
視線が泳ぐ。頭の中で、瞬時に計算する。
ナックルズに会える。⋯⋯会っていいのか。
目的はエミーを祝うこと。そのついでに、ほんの少しだけ、ナックルズの姿を視界に入れることを許されるなら。
そこまで考えたところで、ソニックに背中を強く叩かれた。
「お前もゲストの数に入れとくよう、テイルスに伝えとくからな。来なかったらエミーが悲しむぞ。忘れるなよ」
マンゴージュースのテイクアウトカップを片手に持ち、ソニックはひらひらと手を振って去っていった。
日が暮れたころ。
ソニックから送られてきた住所を頼りに、シャドウはパーティー会場へやってきた。
玄関へと続く道の先に、大きな建物がある。テラス越しに、大広間の中が見えた。いくつかのパーティーが同時開催されているらしい。
たくさんのテーブルと料理、行き交うスタッフと客。大道芸人。演奏家。
色とりどりの服や毛並み。笑顔。笑い声。
右も左も賑やかで明るい。
受付に立ち寄り、ゲストブックに名前を書こうとペンを手に取る。
最後に書かれた名前をちらりと見て、シャドウの手が止まった。罫線からはみ出しそうな、大きな字で書かれている。
“ナックルズ”
ペンを落としそうになったが、後ろに客が並んでいるのに気付き、慌てて自分の名前を書き入れた。
通路へ歩みを進める。この先に、ナックルズがいる。
あの日々の無礼を、今さらながら謝ればいいのか。それとも、エミーに挨拶だけして、すぐに帰るか。なんでもないふりをして、普通に話しかけるか。
ナックルズは笑顔で、またあの言葉を口にするだろうか。
「帰ってこい。帰りたくなったら、いつでも俺のところへ」
通路の先に、大広間への入り口が見えた。
扉は大きく開け放たれ、楽しげな客たちが、笑い声をあげながら出たり入ったりしている。
シャドウはゆっくりと歩み寄る。
薄暗い通路。
そこへ、大広間からの明るい光が差し込んでくる。
あの光の先に、ナックルズがいる。
──抱きつきたい。
飛び込んでいって、頬ずりをして、匂いを嗅いで、思いっきり、彼の⋯⋯
⋯⋯胸を⋯⋯。
足が止まった。
その瞬間、大広間から大きな歓声と笑い声が起こった。
大道芸人が何か芸を見せたのだろう。
いくつもの笑い声の中に、聞き慣れた低い声が混じっているのを、シャドウは聞き逃さなかった。
心臓が早鐘を打つ。身体が固まる。
このまま進めば、きっとそこに、笑っているナックルズがいる。
暗い通路を照らす賑やかな光の先で。
足が、前に出なかった。
ソニックは、来る気配のないシャドウを探しに、大広間の入り口まで歩いていった。
顔だけを外に出して通路を覗き込むと、すぐに気付いた。
入り口のすぐ側。
薄暗い通路の壁に背中をつけて座り込み、泣きそうな顔をしている黒いハリネズミと目が合った。
ソニックは何も言わずに歩み寄り、シャドウの肩を掴んで、そのまま大広間の光の中へ引っ張り込んだ。
華やかな照明。円形のテーブルに、隙間なく並ぶ料理。
奥の方に、鮮やかな赤色の毛並みが見えた。
ナックルズだ。
狼のような大柄な男と並んで立ち、楽しそうに談笑している。狼がナックルズの肩に腕を回し、のしかかるように何か話している。
シャドウは目を細めた。
(誰だ、あいつは)
嫉妬よりも先に、嫌悪感が立ち上がる。
ナックルズを小狡そうに覗き込む顔。肩を探るように撫で回す手。
ナックルズが楽しそうに笑うのを確認してから、同じ調子で笑う、追従の笑い。
(不愉快なやつ)
ナックルズの純粋さにつけ込み、勝手に彼の中に入り込もうとしている卑怯者。
反射的に、ナックルズから狼を引きはがそうとして、一歩前へ身体を乗り出した。
その瞬間、ナックルズと目が合った。
シャドウの身体が、ぴたりと止まる。
ナックルズは、ハッとした顔でシャドウを見た。
次の瞬間、眉をわずかに寄せ──うつむきがちに、視線をそらした。
ソニックが、足を止めたシャドウを振り返る前に、シャドウはソニックの手からすり抜け、大広間から飛び出した。
「シャドウ! 待てよ! 待てったら、この馬鹿!」
ソニックは叫びながら、全速力でシャドウを追いかけた。
グロリア火山の後、シャドウがいなくなって、ナックルズがどれだけ傷ついたか。
それでも文句一つ言わず、ずっと待っていた事をソニックは知っている。
そのシャドウが、また同じように、ナックルズの前から逃げ出そうとしている。
「絶対に逃がさないぞ!」
ソニックは本気のスピンアタックでシャドウに体当たりした。
シャドウの身体が派手に吹っ飛ぶ。
道の脇を転がり、雑木林の手前の大きな木の幹にどん、とぶつかって倒れ込んだ。
よろよろと上体を起こす。逃げる気配はない。
星がまばらにちらつく夜の暗がりの中。
ソニックは速度を落とし、慎重に近付いていった。
闇に溶ける黒い毛並み。その中で、シャドウが小さくつぶやく。
「ソニック⋯⋯⋯」
ぐしゃぐしゃの泣き顔で、シャドウがこちらを見た。
ソニックは、一瞬言葉を失った。
「どうしたんだよ」
短い言葉で尋ねる。
ソニックに向かって泣き顔を見せるシャドウなど、これが初めてだった。
「僕は卑怯者だ」
シャドウは絞り出すように言った。
ソニックは黙って、シャドウのそばに膝をつき、座った。
「ナックルズが僕を受け入れてくれるって知っている。それをいい事に僕は、ナックルズの心の隙間に、際限なく入り込もうとしている。好き勝手に、蹂躙しようとしている。⋯⋯⋯僕は、悪魔だ」
ソニックは、少しだけ目を細めて言った。
「違う。お前は踏みとどまってる。ナックルズの事が大事だからだろ。だから⋯⋯」
シャドウが、ソニックの言葉にかぶせて叫んだ。
「あの甘い日々の事を思い出すと!」
しゃくり上げながら、拳を握りしめる。
「⋯⋯⋯下腹がイライラする」
ソニックは目を見開いた。何も言えなかった。
笑えるはずもない。
シャドウが今、何を欲しているか。ソニックの目から見れば、明らかだった。
「僕は、悪魔だ」
もう一度、シャドウは同じ言葉を繰り返した。
ソニックは拳を握りしめ、目をつむって考え──
やがて、短く息を吐いた。
「⋯⋯よし」
目を開き、シャドウを見る。
「俺が止める。何かあれば、お前をぶん殴ってでも。それでいいだろ?」
シャドウは、ぽかんと口を開けたまま、ソニックを見た。
「とりあえず、挨拶だけでもしてこいって。ナックルズは喜ぶぞ。お前が全然島に来ねぇから、あいつずっと機嫌悪かったんだ。お前のせいでな」
そう言いながら、ソニックはシャドウの腕をつかみ、無理やり立たせた。
ソニックはシャドウの手を握り、黙って走り出した。
シャドウは、その手を必死で握り返した。
何も言わずに、ソニックは前だけを見て走り続けた。
広間に戻ると、ナックルズの姿は見当たらなかった。誰よりも目立つはずの赤い毛並みが、どこにもない。
テイルスに尋ねても、
「おかしいな。さっきまでいたはずなんだけど」
と、要領を得ない答えが返ってくるだけだった。
「あの狼は何者だ」
シャドウが低い声で訊いた。ソニックは、さっきの光景を思い出す。
「でかい図体の狼だろ? 今日はエミーの誕生会以外にも、同時にパーティーやってるからな。俺たちのゲストじゃない。たまたま話しかけられて、意気投合でもしたんじゃないか?」
そう言ってから、付け足した。
「あの狼と一緒に、どっか行ったのかもな」
その時、薄青色の毛並みをした女の子が近付いてきた。
「貴方たち、赤い毛並みの彼のお友達かしら?」
「そうだけど」
ソニックが答えると、女の子は心配そうな顔になった。
「気をつけた方がいいよ。身体の大きな狼、いたでしょ。あいつ、赤毛の彼を狙ってたよ」
ソニックとシャドウの毛並みが、ぴし、と同時に逆立つ。
「いつもずる賢くて乱暴で、みんな怖がって何も言えないんだよね」
女の子の言葉を最後まで聞く前に、二人は受付へ駆けた。スタッフに声をかける。
「赤い毛並みのハリモグラと、大きな狼を見なかったか?」
スタッフの一人が答えた。
「さっき、眠っている赤いハリモグラを、狼が抱えるようにして出ていきましたよ」
その瞬間、二人の身体が弾け飛ぶように動いた。
夜の空気を切り裂く閃光のような速度で、闇の中へ駆け出していった。
ソニックは建物の周囲をぐるりと駆け回りながら、ナックルズを探した。
シャドウは玄関から伸びる一本道を走り抜け、左右に広がる雑木林の暗がりを、鋭い目で見渡した。
──赤い点が、闇の奥で動くのが見えた。
迷いなく、雑木林の中へ身体を突っ込ませる。枝葉をはねのけ、その一点だけを目指して一直線に走る。
木々が密集した場所を抜けると、ぽっかりと木のない小さな空間へ飛び出した。
地面に、ナックルズが倒れていた。
その上に、大柄な狼が覆いかぶさり、まさに手を伸ばそうとしているところだった。
シャドウは躊躇なく前進を回転させて、勢いのまま、狼に突っ込んだ。
鈍い音を立てて狼の巨体が吹っ飛び、背後の木にめり込んだ。衝撃で、木が真っ二つに折れる。
狼はうめき声もあげず、折れた幹のそばへずるりと崩れ落ちた。
「殺してやる」
小さくつぶやいて、狼の方へ向き直る。
──よくも僕のナックルズを汚そうとしたな。
──粉々にして、消し飛ばしてやる。
右腕を上げた、その時。
「ん⋯⋯」
ナックルズが、苦しそうに小さくうめいた。
シャドウはとっさに振り返り、右腕をゆっくり下ろした。
(この男を僕が殺したと知ったら、ナックルズはきっと、自分を責める)
シャドウは急いでナックルズに駆け寄り、そっと抱き起こした。
近くの木の幹に背中を預けさせるように、上体をもたれかけさせる。ゆっくりと、手を離した。
木の倒れる音を聞きつけて、ソニックが駆け込んできた。
「ナックルズは⋯⋯!」
「無事だ。意識は戻ってない」
シャドウが答える。ナックルズが、うっすらと目を開けた。
「⋯⋯シャ⋯⋯ドウ⋯⋯」
ろれつの回らない声が漏れる。
シャドウは何も言わず、後ろに下がろうとした。
その背中を、ソニックがドンと押した。身体が前へ倒れ込む。
シャドウは慌てて両手を広げ、ナックルズを潰さないよう支えながら、その胸元に抱き着く形になった。
ナックルズが、舌足らずな口調でつぶやく。
「やっ⋯⋯と⋯⋯会え⋯⋯た⋯⋯」
瞬間、シャドウの脳が、とろけるような感覚に包まれた。
頬が緩む。全身から力が抜ける。
顔をうずめた先には、弾力のある胸元。
夏草と甘い果実のまじったような、ナックルズの匂い。
抗えない。
衝動のまま、ナックルズを強く抱きしめた。
胸から背中にかけての毛並みに、顔と腕が沈み込む。程よい弾力と柔らかさ。匂いが濃くなる。
鼻から、思い切り息を吸い込んだ。
ナックルズが、ん、と小さくうめいた。
我に返ったシャドウは、慌てて跳ね起き、逃げ出そうとした。
しかし、すぐさま後ろからソニックに頭を押さえ込まれ、再び胸元へグイッと押し戻された。
「むぐっ」
変な声が漏れる。
もう一度抜け出そうと力を込めても、ソニックは後ろから無言で、ぐいぐいと頭を押さえつけてくる。動けない。
木の幹にもたれて、力なく座り込むナックルズ。
四つん這いになってナックルズの胸に頭をめり込ませて、もだえるシャドウ。
その後ろから、無言でシャドウの頭を押し付け続けるソニック。
雑木林の暗がりで、妙な三人が、しばらく妙な体勢のまま、もぞもぞと動き続けた。
やがて、ナックルズが力なくつぶやいた。
「待っ⋯⋯て⋯⋯たんだ⋯⋯」
シャドウは、力を抜いた。
そのままの姿勢で、低く答えた。
「君の匂いが、恋しかった」
シャドウはナックルズを抱きかかえ、雑木林から出た。
後ろから、ソニックがついてくる。
「テイルスに連絡しとくから、ナックルズ、島まで送り届けてやってくれ」
ソニックが言った。
「それからシャドウ、お前──」
さらに言いかけたところで、シャドウが先に口を開いた。
「逃げない。ナックルズが起きるまで、ずっと側にいる」
ソニックはうなずいた。
「OK。いつも通りだな」
そう言って、ソニックは街の方へ向かって一直線に駆けていった。
残された道の上で、シャドウは黙ってナックルズを見る。
深い眠り。微かな寝息。肩の上下。
これからどうするべきか、考える。
ナックルズを守りたい。
何から守るのか。強大な敵か。卑怯で無礼な狼のような連中か。
それとも、自分自身の中で暴れ続ける、この衝動か。
軽く息を吐く。
現状、できることをするしかない。
それでもどうしても行き詰まったら、あの青くて、うるさくて、妙に便利なハリネズミを使ってみればいい。
シャドウは星空の下、暗い一本道を見据える。
ナックルズを抱えたまま、迷いなく走り出した。